宿の朝。
さっそく露天風呂につかって目をさます。
今日もお義父さんが
たくさん企画を用意してくれているようだ。
安曇野の「ちひろ美術館」に行く。
いわさきちひろさんの絵は
子供のころから慣れ親しんできた。
彼女のたくさんの絵を目の当たりにできて
とても嬉しい。
何よりの収穫だったのは、
彼女の様々な思いが綴られた文章を
目にできたことだ。
あれほどの画家の彼女でも
自分の作品について様々な葛藤や苦しみを抱えていた。
「自分は世の中の風潮に惑わされず、
私だけの絵を描いていきたいと思う」
というくだりがあって、
それはやはり、お金を稼ぐ作家として
世の中の風潮を無視できなかったことを
物語っているように思えた。
絵に限らず、モノを作ってお金をいただく人間が
誰しも向き合うことになる大きな壁だ。
若輩者ながら、そのことに大きく共感して、
勇気づけられた。
モノを作る道を選んだからには、
いくつかの迷いや苦しみは
共存していかなければならないものなのだ。
それを改めて肝に銘じた。
続いて碌山(ろくざん)美術館へ。
昭和30年代に建てられた古い建物をはじめ
レンガ造りの趣きのあるいくつかの棟に
萩原守衛(碌山)のデッサンや彫刻、
高村光太郎、斉藤与里などの作品がおさめられている。
碌山の作品は、細部が繊細ながらも
猛々しいほどのダイナミックさを感じた。
こんなふうに「大きく」表現できたら
どんなにいいだろう。
斉藤与里の言葉であろうか、
壁にこんな文章が掲げてあって
立ち止まってじいっと読んだ。
「大自然はその大いなる美の摘み取りとを
人の手に自由に委ねている。
手の大きい人は多く摘み取り
小さい人は小さく摘み取る」
そう、モノを作る人間は
大きな手を持たねばならないのだ。
私の手はまだまだ小さい。
大自然は山ほどのヒントを与えてくれているというのに。
お義父さんの家に帰った。
背の高い私のために、幅の広い女物の反物を
いくつか取り寄せてくれていて、
「どれがいいかな?」と言う。
感激で心臓がバクバクする。
どれもきれいな柄、どれにしよう・・?。
青地に私の好きなラベンダー色の大きな紫陽花が
いくつも描かれているものがあって
妹もお義父さんもそれが似合うと言ってくれたので
紫陽花に決めた。
顔がパッと映える感じがして嬉しい。
なんとなんとお義父さんは
きれいな帯や、私のサイズに合わせた下駄、
それに巾着まで買っておいてくれた。
「せっかく専門家があつらえてあげるのに
半端なことはできないからね」とニッコリしている。
もう泣きそう。
お義父さん自ら採寸をしてくれる。
隣に住む叔母さんもやってきて、
「あらー、いいわぁー、素敵」と目を細めてくれて、
私の幸せは頂点に達する。
お義父さんは結局、
旅行も着物も、一円もお金を取ってくれなかった。
「これはお義父さんの気持ちだから、
どうか勘弁して」と言う。
「お金をもらうより、
また来てくれた方が嬉しいな」と。
その夜は妹と夕食を作り、お家で食べる。
「明日になったら、どんなに寂しくなるかと思うと
つらいなあ・・」とお義父さんがしみじみ言うので
私も寂しくなった。
お義母さんの仏壇にお線香をあげて
この二日間のお礼を心をこめて言った。
そして
「どうかお義父さんを守ってあげてください」と。
明日は東京へ帰ります。
(写真は碌山美術館)
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