今年もいつの間にか年が明け…
なんて、毎年同じ文句を頭の中に漂わせている。
いつもブログを楽しみに読んでくれている友達に
「最近、ブログ書いてないね」と言われ、
「書くことなくて…」ととっさに答えたのだが、
よーく考えてみると、書くことは山ほどあるけれど、
書けない、のであった。
このブログの最初の最初に、たしか私は
心の中のぐちゃぐちゃは書かないと宣言していたはず。
私があーだこーだと戸惑い不安になり意気消沈していることに
人様をつきあわせてはならぬ、
ならぬことはならぬのです(by 会津藩)
20代くらいの頃、作家の佐藤愛子さんのエッセイが好きで
次から次へと読んでいた。
この方はいつも何かしらに怒っていて、
その怒りようは、活火山のごとく。
よく怒ってるおばさんだなあと思いつつ、
彼女のパーソナリティが好きで、深い親しみを持っていた。
今調べたら、彼女も今年で御年90歳になられるようだ。
今もまだ同じように怒っていらっしゃるのだろうか。
いずれにしても、いつも怒っている人というのは
元気でタフな人が多い。
親友にもいるけど。
で、まあまあそんなに怒らなくても…と
あの頃は佐藤さんのことを思っていたのだけど、
今ふと気づいてみると、
私も世の中に対する不平不満が山積みなのである。
自分のことは大きな棚の上の方にポイッと上げて、
不満を好きなだけ言えと言われれば、原稿用紙何十枚でも書けます。
ただ、佐藤愛子さんと違う点をいえば、
若者に対する苦言については、
私も同じようにバカで無礼な若者だったので
原稿用紙には書かず、そっと頭の中で独白をしてます。
ああーごめんなさい、あの頃ご迷惑をかけた大人の人たち。
これはどんなに謝っても、謝りきれません。
で、話は戻って、じゃあ私の心の中のぐちゃぐちゃは
そういう世の中に対する不平不満なのかというと
その比率はちょっとで、あとは何とも正体不明な暗雲のようなもの。
父が私くらいの年のとき、
私と妹はもう中学生と高校生くらいで、
父はときどき、
「お前たちのために、俺の人生は台無しになったぁぁ〜!」と
意味不明にキレることがあった。
「やっぱ、パパ、狂ってる」と
その頃はティーンエイジャーらしくクールに黙殺していたが、
今となっては、その心境が何とな〜く分かってしまう。
家を支えるためにのしかかる重圧、社会での立ち回り、
老いがもはや明白なものとなってきた日々の中で
阿呆としか思えないチャラチャラした娘たちが目の前をうろうろしていて
何でこんなやつらを食わせんといかんのじゃ?と
そりゃ思うでしょう。
そんな娘がいないだけ私は幸福です。
昨年はその心の暗雲のために、何も書けませんでした。
今年はなんとか雲の切れ間から差し込む光を見つけます。