若い人と話をしているとき、
ああ、でもこの数十年なんてあっという間だったなあと
いつも思う。
すぐ私のような歳になってしまうから、毎日を大切に…
と思うのだが、それは最近あえて口に出さないようにしている。
そんなこと、目の前の年寄りに言われたところで何の現実味もないし、
それどころか耳の右から左へ即スルーだろう。
かつての私がそうだったように。
でも子供を育てている人の時間の感覚は少し違うのかな。
この十数年間で、子供が生まれ、小学生になり中学生になり…
その年月の何万という彩りが
彼女や彼らの胸の中に渦巻いて、太い時間の流れとなり、
自分の顔のしわ一つにしても
ごく自然なものとして身にまとうことができるのかもしれない。
それは、とても素敵なことだと、つくづく思う。
父の誕生会をするために実家に行った。
同じ都内なのに実家にはめったに帰らない、1年に一度くらい。
今日は実家への道すがら、車で地元の商店街を抜けて行った。
この商店街は、母がいつも買い物をしていた所で、
私は物心ついた頃から、母親のスカートにつかまりながら
お肉屋さんの高いショーウインドウごしに肉屋のおじさんを見上げたり
八百屋のおばさんが漬け物の袋の口を
輪ゴムでクルクルっと一瞬にして閉じるのを
尊敬のまなざしで見つめたりしていた。
母は買い物の帰りに、いつもセピアという珈琲店に寄り
コーヒーを飲んだ。
私はセピアに行けるのが楽しみで、
そこでは特別にアイスクリームののったコーヒーゼリーを食べたり、
生クリームののったウインナーコーヒーも飲むことができた。
アイスクリームには七色のチョコレートスプレーがのっていたし、
ウインナーコーヒーにはシナモンスティックが添えてあって
母がセピアのマスターとおしゃべりをしている間、
私はシナモンスティックをクリームにつけてチュウチュウしたり
ガジガジしたりして楽しんでいた。
今でもこの商店街を通ると、セピアのことが気になって
お店がまだあるのか、つい確認してしまう。
この日はお店が開いていて、
オレンジ色の明かりが店内から漏れていた。
当時30代くらいだったマスター。
車で通りすぎる一瞬の間だったけれど、
洋風のガラス格子の向こうに
真っ白な髪のマスターが見えた。
あのときと同じ、白いワイシャツに黒いベスト、そして蝶ネクタイ。
髪は白くなっていたけれど、
静かで毅然とした物腰は変わらず、とても懐かしかった。
車が、タイムマシーンのように思えた。
このとき突然、自分の人生の時間軸がものすごく太いものに思え
色々あったことが、どっと心に降り積もった。
生きてきたんだなあ、長いこと。
でもここまでの人生を総括するならば、
私は怠け者で、多くの人がすでに成し遂げているあれやこれやを
かなりの割合でクリアできておらず、
人としての成長もかなり遅れ気味であることは明白だ。
そのことを降り積もった時間のちりの中に再発見した。
若者が未熟であって、もがき苦しみ、ちょっとずつ前へ進むのは
世間的に認められているが、
年寄りは、それをそっとやらねばならない。
(といいつつ、公言している情けなさ…)
切ないこととの戦いばかりが増えてゆく…
ただ、人生はそう悪いもんじゃない。
若い頃より、確実にそう思っている。
ビターな思いを抱えながら見る美しい景色は、
そりゃあもう、心の隅々まで染み渡るんです。
最近涙もろくなった同志たちへ…。