電車は何両目に乗ると一番改札に近くて
次の乗り換えに便利だとか、
このスーパーでは
どういう順路でカートを押して回ると
効率的に買い物ができるのかとか、
そんなことを研究している今日このごろ。
新しい町は、とかく頭を使う。
話は飛ぶのだが、
昨日、地下鉄に乗っていたら
中近東系のおじさんとおばさんのグループが乗っていた。
そのうちの一人のおじさんは
中野督夫さんにうりふたつで
すごく親しみが湧いた。
一行は見るからに旅行者で、
乃木坂に電車が着くと
おじさんの一人が、ここで降りるんだと言い(たぶん)
もう一人が、いや違うと言い、
おばさんたちは、
おじさんたちについて右往左往している。
みんな楽しそうに、わいわい盛り上がってて
見てて思わず微笑んでしまう。
彼らは結局降りないことに決めて、
次の表参道で「おう、ここだよ、ここ」って感じで、
うれしそうに降りていった。
表参道ヒルズでも見てから、原宿へ歩くのかな。
あんまりおもしろくないと思うけど。
日本に来ている外国人観光客を見ると
いつも心配になる。
日本に来て、ほんとに楽しめるのかなって。
物価の高いこの国へ、貯金をはたいて、
期待を抱いて、遠路はるばるやってきて、
まったくの期待はずれにはならないだろうか。
それが善良そうな老夫婦だったりすると、
心配はますます増幅して、切なーくなってしまう。
六本木なんかを彼らが歩いてる日にゃあ
「ダメだよー、こんなとこ来ちゃあ!」と
心で叫んでしまう。
だいたい、彼らがよく持ってる「TOKYO」とかいう
ガイドブックは、一体何を書いてるんだろう?
原宿とか、六本木とか、
秋葉原とかを見せときゃ、まあいいだろうという
その大雑把な根性が気に食わない。
外国人をなめてないか?
でも、東京って街は、
そんな短い間じゃ
その味を知ることが難しいのかもしれない。
だから大雑把に見せるしかないのかな。
殻はなかなか手強くて、
中に入り込めない感じがするかもしれないけど、
それは東京って街全体が
イメージとして作り上げてる虚像で
その中にあるたくさんの生活は、
のどかな田舎の生活を送る人たちと同じ人間が作ってる。
ちょっと忘れかけてる部分があっても、
ほんとに求めているのは
人の優しさだったり、
ぬくもりだったり、安らぎだったり。
六本木ヒルズも、表参道ヒルズも、
東京という舞台で、その虚像を作り上げる
単なる「はりぼて」だ。
あんなもんは東京じゃない。
と、書いたとこで思ったけど、
そんな「はりぼて」が乱立するのも
東京の一つの個性かもね。