活字中毒、なんて自らを言う人がいるけれど、
憧れるなぁ。
読書は私の精神生活になくてはならないものだけど、
中毒になるほど、私にはとても読みこなせない。
本屋で本を選ぶときは、「勝負」のときだ。
精神を集中してアンテナをピンと立て、
私を「呼び止めてくれる」本をさがす。
大はずれの本を買ってしまった日には、もうガッカリで、
途中でゴミ箱に捨ててしまう。
だから、精神集中ができなさそうな日は
本屋に入らないことにしてる。
私には、信用のおける作家が数人いて、
彼らの書くものは、さっさと買って読む。
その本を読んでいる間は、
まるで、安全に守られた庭園で
ゆったりと休養しているような気分だ。
傷つけられることも、裏切られることも決してない。
信用している作家のうちの何人かは
自分にとてもよく似た感性を持っていて、
私にもし小説を書く才能があれば、
こういうのを書くのだろうと思う。
その人の小説を読んでいると、
深く理解しあえる親友と
親密な時間を過ごしている気分になって、
ふだん体にこびりついている孤独から解放される。
そのとき同時に思うのは、
孤独とは決して、
心優しい他人によって払拭されるものではない、ということ。
自分の中に、すみついている、
あるいは、自分がどうしようもなく作り出してしまう、
静かな生物。
でも最近では、コイツともずいぶんうまくやるようになったなあと思う。
公の場で人と話をしたり、仕事をしたりして、
帰り道、電車で一人になると、
ヤッホーと親友に語りかけ、ページを開く。
私が私であることを認めてくれる友だち。
私の考え方を優しく肯定してくれる友だち。
私はすぐに救済されて、生きてるのがちょっと楽しくなる。
先日、あまり読んだことのなかった作家の本が
とてもおもしろくて、
新たな親友の出現か!?と胸が踊り、
早速彼女の別の小説を購入してみた。
ストーリーの最初の空気感は、もうバッチリ。
人々の心情風景がさらりと、でも、ち密に描かれいて、
淡々としていて清潔感があり、
好き、好き、こういうの! って感じだった。
なのに突然、
好感を持っていた登場人物の一人が
とんでもない男で、
愛する妻を平気で裏切るヤツだと分かり、
物語は安っぽいドラマ風の展開になって、
あちこちでいろんな人がセックスをし、
人が死に、ドロドロな感じになっていった。
もう、ガッカリ。
彼女は、セックスや不倫や暴力のようなトッピングがなくても
まっさらな生地だけで素晴らしい小説を書ける人だと思うのに、
私にはそのトッピングが
不必要なものに思えて仕方なかった。
さては、出版社からの差し金か?
だとしたら、気の毒。
一枚ベールのかかった言葉のニュアンスを
自分なりに読み解くのが読書の愉しみであるのに、
誰が読んでもさらさら読める週刊誌ネタのようなものになっては
読む人がバカになるばかりだ。
とかカッコつけて言ってみたけど、
つまり自分の親密な親友には、
誰にでも媚を売る分かりやすい人になってほしくないのだ。
「私だけがあなたを本当に理解しているわ」と
思わせておいてほしいのに。