「里の栗!」
そう彼女は即答した。
高校生の頃、私たちが大好きだったアイスクリーム。
高校の小さな売店に売っていた棒つきアイス。
かじると、栗の食感と香りで口の中がいっぱいになって
すっごくおいしかった。
秋になるといつもあのアイスのことを思い出して
食べたくなるのだけど、
どうしても名前が思い出せなくて切なかった。
なのに、彼女は即答。
突然お日様が射したような、
小さいけどおっきい幸福感に包まれた。
私の忘れてた場所に、私の大切な人生のかけらが
ちゃんと、生きてる。
久しぶりに彼女と会った。
彼女の小学4年生の娘が「アイスを食べていい?」と聞いて
ママのお許しが出ると、
「やったー!」と嬉しそうにハーゲンダッツへ走っていく。
その後ろ姿を追いながら、
ちょっとした近況を交わし合う私たち。
昔、子供だった私が
振り返りざまに見たママたちの姿、そのもの。
ハーゲンダッツで、
「栗っぽいのが食べたいな」と彼女が言うので、
私があのアイスのことをたずねたのだ。
「栗っぽいのが食べたい」と聞いた時点で、
「ああ、やっぱり私たちはつながってる」と思う。
そんな瞬間が、会うたびに必ず何かある。
人生は点の集まりじゃなくて、1本の太い線なんだと
思い出させられるとき。
レジのところで、突然彼女がつぶやくように言う。
「あと、この倍も生きるのかと思うと
いやんなるなぁ…」
彼女も、自分の後ろに伸びた人生の線のことに
思いをはせたのだろうか。
「そうだねぇ」
私も答える。
人生の折り返し地点にさしかかった私たちは、
わりといきなり襲ってきた体の変化とか
簡単に言えば「老い」ということなのだけど、
そのことに静かにうろたえ、心も一緒に疲れている。
どこか重い体を引きずるようにして一日を歩きとおし、
以前は、いとも簡単に生活に華やぎを与えてくれた
お化粧とかファッションにも
今では別のエネルギーが必要となる。
心は慎重になり、無口になり、
誇らしげに街を闊歩する女の子たちを
遠くからほほえましく見つめるようになる。
「ちょっと甘いな」
そう言って彼女が栗のアイスを残した。
自分のを食べてしまった娘がそれを嬉しそうに引き取って
パクパク食べはじめる。
スプーンを口に運ぶ女の子のツルツルのおでこ。
思わず触ってしまう。
娘は、救世主だ。
これも何度目かの脱皮のときなのかな。
この皮を脱ぎきってしまえば、
また秋の空をあおぎ見るような気持ちになれるのだろうか。
母なら、なんと言ってくれるだろう?