友人がクリスマスパーティーに招いてくれた。
きれいに片付いたリビングの片隅には、盛大なツリー。
だんなさんの赴任で一家がニューヨークで暮らしていたころ
彼女が少しずつ買いためた美しいオーナメントが
キラキラと輝いている。
壁には、これまた彼女がニューヨーク時代に学んで
こつこつと仕上げたトールペインティングの数々。
そのクオリティーたるや、まさにプロ並み。
今日の玄関ホールの絵は、
クリスマス用の繊細で楽しげな作品に掛け換えられていた。
彼女は同じ歳で、私の理想とする人だ。
若くして結婚をし、子供を産んで、
苦労の多い海外生活も気丈に切り抜け、
子供をきちんと育てあげた。
ゴージャスな手料理を手際よく作り、
デザートももちろん手づくり。
いつも品のいい服を来て、
質のいいバックや靴を身につけている。
でも、ブランドくさかったり、
華美になることは決してなく、
あくまでも絶妙な頃合いだ。
こればっかりは、
その人の育ちや人となりが成せる技。
彼女は、こびることもなく一見クール。
でもそれは「自分に自信がある」とかじゃなく、
最低限やるべきことはきちんとやって
日々の生活を大切に丁寧に送り、
そして根っから愛情深い人の、
しなやかな強さなのだ。
彼女の娘は高校生。
でも電車の中でよく見るような
汚い言葉を使う、ささくれた感じの子じゃなくて
清楚で、いつも礼儀ただしくて
大人の話にも違和感なく加わることができる。
私のような友人にでさえ、
リラックスして過ごせるように
常に心配りをしてくれているのが分かる。
だんなさんは一つ年上の銀行マンで、
女ばかりの会話にも楽しそうに加わってくれるし、
ときおり話題にあったおもしろい話をしてくれる。
それは、うわべのもてなしではなくて、
本当に一緒に楽しんでくれているようで
うれしくなる。
客人はどんな人間でも、
あの家でリラックスできるに違いない。
家全体が、そんな空気感に包まれている。
20年という結婚生活の中で、
それはきっと他人には分からない大変なことも
あっただろう。
だけど、そういうものを一つ一つ乗り越えて今がある…
そんな堅固な土台のようなものを
あの柔らな空気の下にしっかりと感じる。
そんなとき私も、
とても安らかな気持ちになる。
私はときどき、
取り返しのつかない大きな過ちを犯してしまった気がして、
ぼう然としてしまう。
家庭も持たず子供も作らず40歳を過ぎた。
音楽をやりたいという理由で、
自分のことばかりに膨大な時間を費やしてきた。
だけどそこには確固たる決心や覚悟があったわけではなく、
ただ日々必死にもがき続けていたら
こうして月日が流れたのだ。
自然の摂理からいえば、
子供を産んで育てて
未来へつなげていくという当たり前の流れを
自分の怠慢によって、
途切れさせてしまった気がしてならない。
子供を産み育てるという、
たくさんの苦労や労力のむこう側に
見たこともないような素晴らしい風景、
初めて浴びる恵みにあふれた陽光、
この自分をもう一度育ててくれるもの、
それらがあることは、
親友たちの生活をかいま見れば、確信できる。
そうしてまた私は、
静かに打ちのめされる。
ここへきて、こんなことを言っているのも
自分の怠慢なのかもしれない。
日々の暮らしにもっと必死に取り組んでいれば、
そんな思いが生まれる暇もないだろう。
怠惰なゆえに立ち止まって
考えても仕方のないことを考え続ける。
こうして、いつも打ちのめされたような気持ちで
残りの日々を終わっていくのは
与えられた生に対する冒とくだ。
そのことも私をひどく焦らせる。
だから練習をしたい。
この人生をいつもほんのり照らしてくれる明かり、
そっと暖めてくれる日ざし、
それをいつでも感じられるように、
感謝できるように、
そして、自分のいいところをたまには見つけて
好きだと思えるように、
心の瞳を磨くのだ。
たくさんのツリーの光に目を細めて
また一つ歳をとる。
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