長らくライブ活動をやっている中で、
ギターの演奏には「緊張して弾けない」というトラウマがあって
近年、もうお客さまの前で演奏するのはやめようと思っていた。
この「緊張する」というのが並のレベルではなくて、
体調が悪いとか、ひどく練習不足だとか、
そういうはっきりした原因があればいいのだけど、
どんなに準備をして臨んだところで、
弾き始めたとたん、指がブルブル震えて弦に引っかからない。
だから当然音が出ない、リズムが乱れる、
そのどうにもならない展開にもっとパニックに陥って
その場から逃げ出したい衝動にかられる。
どうにか1曲終わったら、もう倒れ込みそう。
そんなとき
「弾き語り、やったら?」と
あまりにもあんまりな提案を投げかけてくれたのが
旧友のミュージシャンkawolさんだった。
えーーーっ、ないない、という気持ちと、
そうなんだよねー、これを乗り越えないと私、人生の負け犬。
という気持ちが交錯して、
複雑な気持ちのまま、うん…まあね。と答えた。
kawolさんは、口だけのミュージシャンが多い中、
熱心に「いつやるの?」「今でしょ!(いや、これは言わなかった)」
「どーすんの、手伝ってあげるよ」
「どこでやる?いいお店を紹介してあげるよ」と
しつこく誘ってくれた。
そして晴れて5月に弾き語りのライブとあいなり、
kawolさんのサポートのもと、お客様の前で演奏。
相変わらず指は震えて思うように演奏ができず、
翌日は寝込むほど落ち込んだけれど
何かをつかんだ。
うまく言えないけど、弾き語りって
やりがいのある、きっと楽しいもので、
どこででもギター1本で歌を聴かせられるというのは
やはりミュージシャンの原点だと思った。
アカペラでも歌ってもらえる、メロディーに力のあるものをと
心がけて作ってきた、
だから弾き語りでもできるはず。
もっと経験を積もう。
そう思った。
高校の友人にそんな決心を話したら
すぐにセッティングをしてくれた。
たまたま同級生の集まりがあったのだが、
お店に許可をとって
その日のサプライズとして私のライブを組み込んでくれて
席について煙草を吸おうとする友だちにも
「おっと、今日はちょっと禁煙なんだ」なんて言ってくれたり。
宴もたけなわで、私が「じゃあちょっとミニライブを」と言うと
みんなは大喜びしてくれて、
私がチューニングをしている間、
目をキラキラさせて待っててくれる。
最初のうちは例の症状が出たけれど、
だんだん落ち着いてきた。
みんな、さっきご飯を食べていたときは、
16歳に戻ってワーワーキャーキャーはしゃいでいたけれど
今ふと見ると、みんな親のような優しい顔になって
私の歌と演奏をじっと聴いてくれている。
そう、みんな、親なんだもんなぁ。
月日は流れた。
でも流れないで大きく強くなっているものもそこにある。
歌い終わると、友人が連れてきていた大学生の娘さんが
メガネを外してポロポロと泣いていて、
それがすごく愛おしくて、
以前その友だちが「一生懸命育ててきたの」と言っていた
深い瞳を思い出した。
「まみ、こうして一人でマイクも何もなしで歌うのが
一番いいよ」と友人たちは皆言ってくれて、
それは、私の歌が歌として
ちゃんと命を持っていると言ってもらえたようで
本当に嬉しかった。
そして大きな勇気になった。
自分の好きなことをのろのろと不器用にやり続けている私を
たくさんの人が支えてくれている。
恩に報いるために、もっともっと成長したい。