私は高校野球とかオリンピックとか
並外れた能力を持ったスポーツ選手のイベントを観るのが
子供のころから苦手で、
それはなぜなんだろうと、よく考える。
何か特別な理由があって苦手というより、
なんだか体や精神が生理的に拒否している感じ。
最近思い当たったのは、
きっと前世で自分はそういうスポーツ選手か
もしくはその密接な関係者で
何かトラウマがあったのでは、という理由。
ずっと思い出せなかったことを思い出したときのように
かなりスッキリした。
でも、今年のトリノは努力してテレビを観ている。
そんなトラウマを乗り越えなくてはと。
しかし、苦しい。
いちいち選手に感情移入をしてしまって
ぐったり疲れる。
惜しくも敗退した選手の
爽やかな笑顔の向こう側の心理を思うと
自分も次の4年間の十字架を背負った気持ち。
で、ずーっと観ていて、
何人もの選手の費やしてきた膨大な時間と
犠牲にしてきた何かと、汗と涙を思うと
「オリンピックとは、果たしてそれほどのものなのか?」
という疑問にぶちあたる。
世界一の大会だからって、国民がみんな応援してるからって、
大切なのはあなた自身だよ、って思う。
でもそこまで考えて、さらに思うことは、
いま私にとっては、それがきっと
数ヶ月に一度のライブだったりするんだろう。
私はたぶん何も犠牲にしていないし、
努力の分量も、彼らの汗一滴にも満たないかもしれない。
だけど、自分がそうしたいから必死に執着していて、
しばしば勝手にズドーンと落ち込んで、
脳みそはいつもいつも、新しい作品のことや
自分のそんな人生のことで占領されている。
「果たしてそれほどのものなのか?」と
誰かにつっこまれても、何も返す言葉がない。
つまり、これが「私自身」なのだ。
昨日の深夜のラジオで、
大好きなCharが言っていた。
「ミュージシャンなんかさ、
一つのことしかできない不器用な人間なんだよ。
だからおもしろいヤツが多いんだけど」
カッコいいなー、Char。