大昔、私が音楽の道の扉をギギーッと開けて
おそるおそる中をのぞいた頃に出会った
「第一村人」ならぬ「第一ミュージシャン」がいる。
私がライブなどをやっていくにあたって、
ギターやボーカルを教えてもらうトレーナーとして紹介してもらった
シンガーソングライター&ギタリストのkawolさん。
だから彼の音楽というのは私にとって
赤ん坊が初めて聞いた言葉と同じで、
よくも悪くも(!?)私の中に深く刻み込まれることとなる。
彼の音楽は、何とも筆舌に尽くしがたいユニークなもので、
80年代のポップな洋楽で育った私にとっては
宇宙人の暗号みたいに聞こえた。
彼は最初に私をタワーレコードに連れていってくれて、
ジョニ・ミッチェルとトッド・ラングレンのCDを
プレゼントしてくれた。
トッドの方はまだ理解できたが、
ジョニ・ミッチェルの自由なボーカリゼーションと
ジャコパスのうねうねしたベースの織りなす世界は
当時の私の理解の領域をはるかに超えていて、
こんな音楽を聴いてる人と
果たしてコミュニケーションがとれるのだろうかと
本気で不安になったものだ。
その頃の私は、
会社を辞めて、家庭もリセットして、
まったく未知の世界に踏み込んだところだったので
生まれたばっかりの馬の子供みたいに、その足取りも
とっても危なっかしい感じだった、今思えば。
周りのとんがった若者たちを見て、とんがってるなあと思っていたけど、
私もある意味、相当とんがっていたようだ、今思えば。
でも、kawolさんは、その比じゃなくて、
なんたって宇宙人なので、話してる言葉すらも時おり理解ができず、
彼との時間に、私は毎回膨大なエネルギーを消費していた。
ただ、今まで私が暮らしていた世界とはまったく異次元の世界だったので
そんな場所に身を置いている自分を、どこかでおもしろがってもいた。
ある日、kawolさんがミルトン・ナシメントの「トラベシア」に
日本語の歌詞をつけたものを弾き語りしてくれた。
彼の、遠い異国の友人とのひとときを歌ったもので、
トラベシアのメロディーにのって、
並んで歩く二人の長い影や、日の光のまぶしさや、風の香りが
鮮明に目の前に現れて、私は瞬く間にそれに包み込まれ、
知らぬ間にボロボロ涙があふれてきて、
それはいつしか号泣に変わっていた。
そんなふうに泣いたのは、すごく久しぶりで、
心の中にたまっていた澱が少しずつ流れ出てゆくようだった。
kawolさんは最後まで演奏をしたあと、
ギターを慌てて置いて、ティッシュの箱を持ってきてくれた。
あの瞬間の映像は、今でもはっきりと思い出せる。
あれから17年くらい経っただろうか。
昨年の秋のライブにkawolさんが聴きに来てくれて、
相変わらず最初のひとことは
「もっとちゃんと歌えよ」だった。
体が貧弱だと声も細くなるから、もっと食べろとか、
昔と変わらず踏み込んだことをズバズバ言う。
それを聞いて妙に安心したというか、
そこで適当にほめられては逆に寂しかったかもしれない。
先日、久しぶりに二人でご飯を食べた。
驚くことに私は彼の言葉がすべて理解でき、
なんというか昨日も会ってた友達みたいに
とってもリラックスした楽しい時間だった。
彼が大人になって、宇宙人から人間に近づいたのか、
私が宇宙人寄りになったのか…
まあ、その両方かもしれないけど、
今の私は、トッドは大好きだし、
ジョニとジャコパスのあの空気感も
胸にずんずん迫ってくる。
いつしか同じような目線で音楽の話ができるなんて
あの頃は想像だにしなかった。
その夜、kawolさんが彼の弾き語りをおさめたCDを
プレゼントしてくれて
私は早速ipodに入れて夜の家路を聴きながら歩いた。
最初のギターの一音を聴いたとき、
20年近い時空を超えて、
逗子のkawolさんのスタジオの空気の中にひゅっと戻った。
彼のギターの音は、堅いオリーブの木のような香りがして、
なんとも言えない質感を持っている。
メロディーがなくても、その音だけで奥行きのある音楽だ。
その旋律はどこまでも自由で、
あの頃、初めて聴いたときは「変わってる…」と思ったのに
今では流れるように耳に入ってくる。
今もなお、こんなに自由に音楽の世界にたゆたっている彼を
とても眩しく思い、
心がどんどん楽になっていき、
日ごろの忙しさで心が硬直していた自分に気づく。
何曲かが終わり、ギターがまた自由な旋律でイントロを奏で始める。
しばらく浮遊した音は、あの懐かしいイントロのフレーズに入っていく。
トラベシアだ。
あの号泣した日。
遠くから吹いてくる潮風。
向こうで聞こえているはずの波音。
すべてのことが蘇って、また涙があふれてくる。
今、私を包んでいるすべての速度…
自分の靴音、深まる夜、季節の移り変わり、この人生…
そのすべてに、トラベシアの旋律が寄り添って流れていた。
音楽、その素肌に触れた。