シアトルに住む友人が一時帰国した。
高校一年生からの大親友。
私たちはそのころから6人グループを組んでいて
通学もクラブ活動もいつも一緒で、
みんなでいろんなところへ旅行して、
人生の哀しいときにはいつも
彼女たちがそばにいてくれた。
久しぶりの帰国だし、
二人目の赤ちゃんにも会えるので、
すごーく楽しみにして集合する。
場所はメンバーのお家。
お料理やデザートを持ち寄って
おしゃべりしながらみんなでお台所に立って
おいしいものを食べて
のんびり時間を過ごした。
赤ちゃんはふっくらとしていてあったかくて
ほっぺがプリンとしていて
幸せそうに眠っていて
ああ、よく産まれてきてくれたね、ありがとう、
という気持ちで、なぜだか涙ぐみそうになる。
血のつながった姉妹が産んだ子供のようで
愛おしいというのは、
こういうときに使う言葉なんだと気づく。
あなたの母親は素晴らしい人よ、
もう少し大きくなったらそうやって彼女と語りあいたい。
私たちは16のときから、お互いを尊敬しあって
彼女たちの素晴らしいところに憧れを抱いて
それを賞賛しあいながら過ごしてきた。
だから一緒に時間を過ごしていると
自分はこんなにも愛されていて、
生きている価値もまんざらなくはないのだ、
という気持ちになる。
自分を愛することを思い出して、心があったかくなる。
ちゃんと前を向いて、朗らかに生きていこう、と思える。
こうして私は、ことあるごとに
彼女たちによって人生をつないできた。
またすぐアメリカに帰ってしまう友と
帰りの電車の中でずっと手をつないでいた。
私の手は冷たくて、彼女の手はいつも温かい。
赤ちゃんはこの世で一番の安心感を顔に浮かべて
スヤスヤと眠っている。
次に会うときはもう歩きまわっておしゃべりもするだろう。
素敵な遺伝子が次の世へつながってる。
幸福だ。