震災があって、言葉を失ってしまった。
私には何も語ることができないし、
ましてや歌うことなどできない。
ただただ果てしのない自然の猛威の前に
頭をたれるだけだった。
あの日から数日、高熱を出してもうろうとしていた。
何日かして外へ出ると
夜の町は街灯がまびかれていて
それはとても真っ暗に感じられて
ああ、この国はたくさんの命を失ったんだ…という思いが
大きな石のように頭にのしかかった。
国全体が、深い悲しみに沈んでいた。
なのにヘッドフォンから流れるAir Supplyの澄んだ歌声が
その景色にとても溶け込んでいて
また泣きたくなった。
なんであの人たちの命が奪われたんだろう、
優しいおばあちゃんや、強いお父さんや、
まだまだこれからたくさんのものを見てゆく子供たち、
そしてその子たちを自分の体の一部のように愛していた
心しなやかなお母さんたち。
意味を、見いださなければやりきれない思うのは
生き残ったものの傲慢だろうか。
何かを学んだ、と言うのも傲慢なのかもしれない。
けれど残された命を精一杯生きてゆく。
それも大切に大切に、いとおしんで生きてゆく。
命は、はかなく、生きていることこそが宝物なのだと
そう教えられたから。