練習の休憩時間に、
i-podに入っていた自分の昔のアルバム「Sailing」を
ふと聴いてみた。
レコーディングしてからずっと
このアルバムを聴くのは
精神的に努力のいる作業で、
努力してまで聴くこともないので
あんまりちゃんと聴いたことがない。
最近になってようやく、
あの頃の私とはずっと離れてしまったから、
ちまたにある古いCDの一つとして
聴いてもいいような気になった。
曲の展開もすでに覚えてないような曲は、
Bメロやサビにきて、
「おっ、そうくるかよー、ざんしん。」とか
びっくりしてしまうものもある。
「風呂上がりの子供が裸で走り回ってるようだ」
高校のときの聖歌隊の先生が
私達の歌をそう表現したことがあったな…
その意味、今なら、よおく分かる。
風呂上がりの子供。
でも、あれはあれでよかったんだ、きっと。
羞恥心や理性と全く無縁の世界って、
はずかしいけど、すごいパワー。
そのアルバムの中でも特に、
聴くのに努力のいるのが
「Retrieval」(リトリーバル)という曲。
これは12年くらい前に
私がほぼ初めて書いた曲で、
レコーディングをしたのも10年前。
どんなに青くさいことを歌ってるもんだか、
なかばハラハラして聴いてみた。
「Retrieval」の題名の由来は、
「取り戻す」というのがこの歌のコンセプトだったから。
学校を出て、なんとなく銀行に勤めて、
自分の日々に、どこか不本意なものを感じながら
10年近い年月を費やしてしまった。
もう取り返しのつかないようなロスを
してしまった気もしたけれど、
だけど、これから新しい道を歩いて「取り戻すのだ」と思った。
そんな思いを書いた曲。
自分のやりどころのない不安を語るところから始まって
歌は流れていく。
歌詞には不思議とムダがなくて
自己愛や自己憐憫がにおうわけでもなく
むしろ潔い。
なんて、自分で評価するのもなんだけど、
10年前の曲にしては、
「今」にきちんと寄り添う歌だった。
サビで「どんなときも、私を生きていこう」と言っていた。
10年前の私が、教えてくれた。