今年は気温の低いことが多かったせいか、
その分、花が長く楽しめているような気がする。
散歩をすると、色とりどりの花が
家々の生け垣や川のほとりを飾っていて
甘く新鮮な香りをはなっている。
うちの庭も今、にぎやかだ。
去年の夏に植えて、
もう終わってしまったとばかり思っていたデイジーが
冬の積雪にもじっと耐え、
去年よりも多く花を咲かせた。
その周りで、雑草のかわいらしい白い花もたくさん、
可憐に風に揺れている。
つつじはもう終わってしまったけれど、
今は大輪の深紅のバラも咲いて、
これまた果敢に冬を越したイチゴが
今年はたくさん実をつけていて
とってもかわいい。
ああ、自然の美しい営み…
自分もその自然界の中の一員なんだなぁ、
生かされてるんだなぁと思う。
小さいけれどそんな庭もあって、
木の温もりのある今の家が、私は大好きだ。
家を探しているとき、
他にもたくさんの家を見たけれど、
この家に足を踏み入れた瞬間に
「あっ、ここだ」と思った。
長く空けていた家に帰ってきたような気さえして
不思議な安堵感にかられたものだ。
しっかり仕事をしないとこの家には住み続けられないし、
いつまでも住んではいられないのだろうけれど、
どうかなるべく長く、私をここに置いてねと
しばしば家にお願いをしている。
気持ちはきっと伝わっているはず。
悲しい気持ちや虚しい思いに胸をふさがれて
とぼとぼと帰ってきても、
家はいつでもあったかく迎えてくれる。
「まあ、休みなよ」といって
温かさと静寂で私を包んでくれる。
あるとき私はふと気づいた。
この家が私を守り、包んでくれている以前に、
私の心の家は、この私自身なのだと。
私が自分自身に不平不満たらたらで、
自暴自棄になるときでさえ、
私のこの家は反乱も起こさず、
私をいつもじっと寛容に抱き、見守っていた。
なんていうのだろう…
それは、
この世に生まれてくるときに、すべての人が平等に、
神様と、そして親から、
お守りのように首にぶらさげてもらう
愛のようなもの。
自分の中にそれがあることにさえ気づけば
どんなときにも人は立って歩いていける、
そんな不動のもの。
心の着地点が見つからず
長く放浪をし続けて
ヨレヨレになって戻っても、
いつでもその家は「おかえり」と
温かい微笑みをたたえて迎えてくれる。
「ここは君の家だよ
いつでも帰ってくればいいんだ」と言ってくれる。
人は放浪をしてこそ、
その家の存在に気づくのだろうか。
今回のアルバムでは、
そんな、ホームベースに戻ってきた心のことを描きたかった。
放浪の最中に書いた曲でさえ、
今、時を経て見てみると
私を見守る家の温かいまなざしが、ちゃんとそこにある。
そのことが何より、うれしかった。
このアルバムを作り上げるために
あたたかい手をさしのべてくださったすべての人に、
心から感謝します。