体というのは、
魂が「この世」で束の間の勉強をするための「入れ物」である、
という考え方が好きだ。
魂はもう何千年も旅を続けていて、
もっと成熟するために、この世におりて
人の体に宿り「人生」を送る。
やがて入れ物が朽ちて、つまり死に至ると、
しばらくまた魂だけに戻り、
前の人生で勉強しきれなかったことを勉強するため
次の新しい体に宿る。
例えばその人生で、物理的にも精神的にも
何もかもが満ち足りていて、
他人の気持ちをおもんばかることに欠けていた魂は
今度は逆の立場の人間の体に宿り
勉強の続きをするのだ。
だから、今の人生がどんな境遇、状況であろうとも
それにはすべて意味がある。
前の人生からの課題に取り組んでいるのだから。
すべては魂の成熟のため。
この考え方は、日々を生きていくのに
少なからず勇気を与えてくれる。
私は昔からときどき、
魂がこの体に幽閉されているような
窮屈な感覚を覚えることがあった。
この体にいたくない、出ていきたい、とそう思うのだ。
日々老いて、死に近づいていく倦怠や恐怖といった感覚も
20代の中頃からずっと抱き続けてきた。
魂が生きていくのに、
この体が、重い足かせのように感じてしまう。
だからもう、出ていきたい、と思う。
だけどこれは勉強なのだ。
そんな気持ちに打ち勝って、
朗らかに前を向いて生きることが
私の課題なのかもしれない。
それに、私の大好きな、大切な、素晴らしい人たちと
言葉を交わし、笑い合い、何かを学ぶのは
ほかでもない、この体なのだ。