先日友人と、魂について話した。
魂というのは、それぞれに年齢があって、
もうずっと長く生きてきた魂もあれば
生まれたばかりの若い魂もある。
長く生きてきた魂が、まだほんの子供に宿っていることもあれば
若い魂が老人に宿っていることもある。
子供でも人として魅力的な子いたり、
大人でも呆れるほどスカスカな人がいるのは、
そのためだ。
魂はまず一つの肉体に宿り
人生という学校の中でいろんなことを学ぶ。
やがて肉体が朽ちると、また裸の魂に戻って旅をする。
そして少し経つと、前の学校で学び残したことと学ぶべく
新しい肉体に宿り、上の学年の学校へと進むのだ。
だから、人の人生に起こることは
すべて学校のレッスンであり、
嫌なことも苦しいことも、不本意なことも無味乾燥なことも
すべてに意味がある。
人生が丸ごと、学校そのものなのだから。
こうしていくつもの人生(学校)を経験することによって
魂は少しずつ成熟していく。
私はこの考え方が好きだ。
とにかくこの人生をまっとうしなければいけないことに
合点がいく。
でもときどき、
この学校がずいぶん長く退屈に思えたり、
魂がこの肉体に幽閉されているような
ひどく窮屈な気分になることがある。
ただ、苦しみも悲しみも肉体あるがゆえだけれど、
すぎてゆく風を気持ちいいと感じたり
誰かの手の温かさに幸福で満たされたりすることは
肉体あってのすばらしさだ。
今夜、雪が降った。
暖かい冬で、もう雪には会えないのかと思っていたから
とってもうれしかった。
うれしいという感情がとても新鮮で、
自分の肉体の存在に気づく。
庭の木々に白い帽子をかぶせて
空をほんのりと明るくして、
静かに雪が降る。
魂が、嬉々とはしゃいでいる。