とても親しい人が亡くなった。
彼女はまだ40代で、
ちゃきちゃきの江戸っ子で、
元気に一家をきりもりする
スーパー母ちゃんだった。
うんと若くして子供を産んだので
もう孫までいた。
あまりに若く病気になってしまい、
あまりに早く逝ってしまった。
とても哀しくて、
彼女がまだ赤ちゃんのころ一家で写った写真を見て
一人で泣いた。
彼女はぷりっとした赤ちゃんで
お母さんの腕に抱かれ、
お父さんとお兄ちゃんと4人で写っている。
お父さんも早くに亡くなった。
お父さんのところへ行ったんだ…と思った。
時の流れ。
彼女のなきがらは笑っていたので
彼女が長い苦しみから完全に解放されたんだと
そう確信した。
母が息を引きとったとき、
もうそこに「母はいない」と感じて
だからそのなきがらに未練を感じなかった
それは母の抜けがらで、
例えば、
母がよく使っていたカシミアのマフラーだとか
大切にしていたカメオのブローチだとか、
彼女が残していったそんな思い出の品のように思えた。
母は今や、もっと安全で苦しみのない
私のうんと近くにいる。
だから亡くなった彼女の抜けがらにも
むしろ平安を感じて、心が和んだ。
こうして少しずつ、まわりの人が
体を抜け出して魂に戻ってゆく。
お互いに言葉を交わして触れ合うことができる時間は
日一日と減っていく。
愛する人との一日を、もっともっと大切にする。