このシーズン、初めてストーブを消したままで
Macのキーボードをたたいている。
窓からは、やわらかいおひさまが差し込み、
庭の風景は、ぽわ〜っとのんきだ。

今年はじめに新しいアルバムが発売になって、
実はまだ一度も通して聴いたことがなくて、
今、イヤホンで聴いている。
これくらい間があかないと、
歌ったときの記憶が残っていて、
客観的になれない。
今はもう、誰かが歌った一曲として聴ける。
とても久しぶりに心がひとりで、
ほんとうにひとりで、
のびのびとしている。

最近、涙腺がぶっ壊れていて、
すぐに涙がボロボロッ…とこぼれて
自分でも困ってしまう。
まるで何十年もの間
泣くべきところ、泣いていいところで泣けなかった分の涙が
まとめて出てきてるみたい。

この哀しみは一体何なんだろうと思う。
生きていることは本当に素晴らしくて
たくさんの心あたたまる風景を見せてくれて、
それでもおんなじくらい哀しみも生む。
目の前で起こる哀しいことは
全然自分に関係がないと思っても、
ぜんぶ自分の過去の記憶がつくり出す現象なのだと
ホ・オポノポノで学んだ。
自分の中の無意識のどんな記憶が
この哀しみを生むのか、
毎日にように考える。

ポロポロ涙が流れてティッシュで拭いていたら
イヤホンの向こうから
「涙の河」という曲が流れている。
「その涙の河 流れ
かなしみたち 海に運ぶ…」だって。
本当に、誰かが歌ってる一曲。
へんなやつ。

それにしても、
たくさんの人がありったけの労力と愛情をもって
つくってくれたアルバム。
自分は幸せな人生を生きている。
これからたくさんの人に聴いてもらうんだ。
春一番は、まだ。