1年ぶりのライブ。
今回は大学の大先輩のおとりはからいで
なんと母校の施設の中で行うことになった。
先輩がつけてくださったタイトルは、
「山川雅美さんの歌を聴く会」。
うひゃあ…。
父親にも近いほどの大先輩の方々が
この名もないの後輩の歌を聴きに
お運びくださるという。
もちろん大学の恩師のご夫妻もいらっしゃる。
会場はピアノがポツンと1台置かれた部屋だったので
当初は松田さんと二人で演奏をと考え、彼にお願いをした。
松田さんは
「母校で歌えるなんてすばらしいね!」と、とても喜んでくれて、
すぐに引き受けてくださった。
松田さんのこういうところは、
彼が一流のピアニストであるという以前に、
常に音楽を愛して、音楽と直に向き合っているその横顔を
いつも私に思い出させる。
彼を尊敬するゆえんだ。
企画をすすめるうち、
せっかく大勢の皆さんに来ていただくのだし、
ましてや初めて聴いてもらうのだし、
私の曲をたくさん聴いていただくためにも
「やはりギターのシゲちゃんにも来てもらおう」と思いがふくらみ、
「だったら野口さんにパーカッションをやってもらえないだろうか」
などと欲が出て、
そこでベースのハマちゃんが「あれ?僕は?」と言ってくれて
とうとういつものフルバンド構成となってしまった。
皆さん、ほんとにありがとう。
しかし、会場はあくまでもピアノがあるだけの普通の部屋。
「せっかく一流のミュージシャンがそろうのならば
最良の音響で聴いていただきたい…」
そんな思いはもう止まらず、
「えーっと、信頼できる音響エンジニアは…」
そのとき浮かんだのが、
7年前、アルバム「Essential」の制作をしてくれた会社のカツオさん。
久しぶりに連絡をとると、彼は即答で引き受けてくれた。
あの頃はまだ少年の面影をのこしていたカツオさん、
レコーディング中、
暖房のない空間で私が寒くないように
ライトをたくさんたいて暖めてくれたり、
コーヒーをいれてくれたりしながら、
音響のアシスタントをくるくるとこなしていた。
7年ぶりに会った彼は、
たくましく立派な男性になっていた。
当日。
朝9時すぎに野口さんと現地に着くと
すでにカツオさんはたった一人で
すべての機材をバンから運び出し、2階まで上げて、
何もなかった部屋が早くも
ライブハウスと同じ音響の仕様になっていた。
「職人」という言葉を思い出してブルッとするのは、こういうときだ。
身が引き締まる。
まもなく松田さん、シゲちゃん、ハマちゃんも
いつものように、時間より前にきちんと到着してくれて、
慣れた手つきで楽器を運び出す。
ああ、プロ集団だなあ、お世話になります。
一人だけアマチュア感満載のこの私が
真ん中で歌うんです、どうしよう…
こうしてもいつも緊張がピークに達する。
あっというまにバンドのセッティングも終わり、
軽くリハーサルをする。
ものすごく歌いやすい…。
ライブハウスより、ずっと。
カツオさん、グレイト。
バンドのみんなも予想以上の演奏のしやすさに驚く。
ここ数ヶ月、私がいろいろ考えてたどりついた先は、
今さらなのだけど、
すべてをポジティブに考えるということだ。
ライブのときは、
うまくいかなかったら…と考えて緊張してミスをするより、
きっとうまくいく…と考えておおらかに歌って
結果ミスをしてしまっても、その方が歌としては断然いいはず。
どっちが一日ハッピーだっかは言うまでもない。
今まで「もしも…」の事態ばかりにおびえていたから
つらかったのよ。
とはいっても、緊張は免れません。
お客様が続々と会場に到着されて、
私のライブにいつも来てくださる親しい方々の笑顔も見えた。
初めてお会いする大先輩の方々は、
私が何回も何十回も想像していたお顔ぶれそのままで、
人生の荒波を果敢にくぐってこられたゆえの
寛容さと温かみをたたえた表情の方ばかり。
会場の雰囲気が、みるみるやわらかい空気に包まれて
波だっていた私の緊張がほぐれていく。
人の力ってすごいなあ。
言葉を発するでもなく、アクションを起こすでもなく
その人がそこにいるだけで、
空気が温度をたたえ、人を安らかにしたり…。
ライブが始まる前から、会場はもう温かいぬくもりに満ちていた。
普通のお部屋なので、ステージと照明はなく、明るいまま。
歌いながら、お客様の顔が一人一人よく見える。
目を閉じて、じっと聴いてくださっている方、
笑顔で眺めてくださってる方、
友人のいたずらっぽい表情も何だかうれしい。
ふと正面のカツオさんをみると
ヘッドフォンで音をチェックしながら
楽しそうに一緒に口ずさんでいる!
そう、カツオさんは私の歌を全部覚えてくれているのだ。
こんなエンジニアさんは、まずいません…。
このことでますます私の気持ちは楽しく軽やかに落ち着いてきた。
恩師夫妻の笑顔もよく見える。
先生も奥様もニコニコして聴いてくださっている。
思えば大学生のときは
先生は教室でいつも困った顔をしていた。
まともな議論もかわせない学生たち…。
高校のときまでは教師たちとちゃんと
「わたりあっている」つもりでいたけれど、
大学ではまったく歯が立たない。
大学の教室の中での先生の困った顔を見ると
いつもどうしようもない無力感にかられた。
先生と同じテーブルにつくこともできないなんて…。
大学で勉強をするということは、
すでに確固たる目的意識と情熱を持っていないとダメだ、という
当たり前とも言える事実に
私は静かにうちのめされていたと思う。
もう、何かを「探す」場所ではなかったのだ。
先生のご厚意で卒業はさせていただいたけれど、
実質ドロップアウトの私。
その私が歌うのを、
先生があんなに楽しそうな顔でながめてくれている…。
胸の奥の深いところで、じーんとうれしさが広がった。
私にとっての、人生の意味って何だろうって思う。
「自分は死んでいる」と思うことが何度もあった。
それは、自分が何の役にも立たず、
何も生んでおらず、何の変化もないときだ。
誰かを笑顔にしたり、
いや、私がそうしたのでなくても、
誰かがそばで幸福でいてくれれば、
その瞬間、私は「生きている」と思える。
そのことに最近気づいた。
歌は今はまだ、私の生活の一部でしかないが、
歌うことで「生きている」と思えるとしたら
なんて幸福なんだろう…。
そう、私はとてつもなく幸福な人間なのだ。
大きな贈り物をいただいた日だった。