高校のとき所属していた聖歌隊は
わが高等部ではかなりメジャーな存在ではあったけれど
想像を絶する厳しい部であったがために
部外の学生からは、たびたび
「えっ、聖歌隊…入ってるんだ…」と
畏怖と哀れみの入り交じった複雑な表情で言われたものだ。
聖歌隊の指揮者であり、
この高校の音楽教師でもあった先生は
今思えば体全部が音楽でできているような人だった。
先生の私生活など全然思い浮かばなくて
険しい表情でピアノや楽譜に向かっている先生の姿しか見えてこない。
その先生の「すべて」である音楽に、
少しでもブレが生じようものなら…
そのブレとは私達が学生がつくるものに他ならないのだけど
先生のダムは決壊してしまう。
目つきが落ち着かないとか
譜面を持つ角度が悪いとか
今ふっと気を抜いた(ように見えた)とか
とにかくありとあらゆることで
先生の怒りに火がついて、
椅子が飛んできたり
譜面をバーンと払われて顔面直撃したり
馬乗りになって殴られたりした。
私達は先生の目を見つつ、
でも目が合わないように祈りつつ、
少しの隙も見せないように
全身で緊張して毎日の練習に励んだ。
メサイアというのは
ドイツ人の作曲家ヘンデルがつくったオラトリオ※で
メサイア(救世主)としてのキリストの誕生から復活までを描くものだ。
毎年クリスマスになると
私たち聖歌隊がオーケストラとともに礼拝堂で歌う。
他にも聖歌隊は戦没者慰霊のため千鳥ヶ淵で賛美歌を歌うなど
いくつか活動をしていたが
このメサイアが一年のしめくくりの大きな行事だった。
先生も聖歌隊員たちも、まさに満身創痍で、
身も心も削って、本番に臨んでいたと思う。
メサイアの公演が終盤にさしかかると
先生は顔をゆがめて涙を流しながら指揮棒を振った。
私たちもポロポロ泣いて一生懸命歌いきった。
公演が終わった翌年だったか、
先生が「このメサイアについて感想を」と言って
私たち部員は作文を書かされた。
私は「最後に流す涙が
これまでのつらさや疲れを思って流す涙のような気がして
そういう涙はもう流したくないのです」
というようなことを書いた。
ある日、練習のときに私は先生に呼ばれて、
みんなの前でその作文を読み上げるように言われた。
なんだかオロオロした気分で作文を読み上げると
先生は「彼女の文章を読んで、私も決心がつきました。
メサイアは、もうやめます」と言い放った。
あのときどう感じたのか、はっきりは覚えてないけれど、
私以外の部員の人たちも、
それほど青天のへきれきではなかったと思う。
ほんの少しの衝撃と一抹の寂しさ、そして安堵と納得と。
先生はほどなく退職され、
メサイアがいつ復活したのか、私は知らない。
あれから30年ほどがたち、
同級生の娘がメサイアで歌うことになった。
大きな礼拝堂の後ろの方で、
チャペルに響き渡る歌声と管弦楽に聴き入る。
心がどんどん透明になっていって
自然と涙が流れてくる。
驚くことに歌詞がすらすら出てきて
一緒に口ずさむことができる。
友達の娘は、朗らかな表情で口をきれいに開けて
楽しそうに歌っている。
ふと自分の子供のような気さえしてくる。
自分のおなかから出てきた赤ん坊が
こんなに健やかにヘンデルを歌いあげているなんて、
もう宇宙をとびこえるくらいの感動だ。
30年後の私がここでこうしてメサイアを聴いていることなど
想像だにしなかっただろうな、まん丸顔の私。
何度も転んで、何度も倒れて、自分に負けてたくさん泣いて、
だいぶくたびれてしまった。
でもね、たくさんたくさん笑ってもきたよ。
素敵な人にもたくさん出会ってね。
現代のメサイアは、さらさらと流れる小川のように軽快で
テンポもやや速く、
私たちのメサイアがだいぶ重厚であったことが分かる。
指揮者によって、音楽は違った形で命を吹き込まれるのだと
今さらながらに思った。
あれは、先生の体の一部だった。
この夜、私を支配していた感情は、ただただ「幸福と感謝」だ。
この学校に通わせてもらって、
今こうしてこの礼拝堂で音楽に包まれていること、
それをこんなにも幸福だと思えること、
すべてに。
※オラトリオ
宗教的題材に基づく壮大な叙事的楽曲