私にとって文章を書くことは、水に入って泳ぐことと似ている。
どこへどんなふうに泳ぐか漠然としながら水に入っても、
いざ水に浸かれば、手足を動かしてどうにか泳ぎ、
やがてどこかへ泳ぎ着く。
上手に泳いでうまい所へ泳ぎつくかどうかは、その日の運である。
最近、涙もろくなってしまった。
ていうか、泣くことが恥ずかしくなくなった。
こんなとこで泣いちゃダサいとか、
大人としてどうよ、とか、
泣き顔、やばくない?とか、
そういう世間体を気にせず、
おいおい、めえめえ泣けるようになった。
大人になって得た自信も誇れることも
まったく見当たらないけれど、
ここで堂々と泣いたっていいじゃないかという
ゆるぎない何かが、備わったように思う。
それって何の役にもたたないけど。
新体操の全国大会に出る女子高生のドキュメンタリーを見て
ただただ涙してしまった。
そういえば私も中学性の頃、
新体操部の部長だったようなおぼろげな記憶があるが、
あの高校生のレベルとは月とスッポン、次元が違うので、
その話は差し控えたい。
コーチに厳しいアドバイスを受けて、
ポロポロと涙をこぼしながらも、
次の大会へ向けての抱負をカメラに向かって語る女子高生。
すっぴんのつるんとした顔に
キュっと髪をシニョンにして、透き通った目に水をいっぱいためて
肩をふるわせて鼻を赤くして‥。
私の娘であってもおかしくない年頃の女の子に
母のような気持ちになってしまう。
私にもこんな頃があったはずだけど、
こんなふうに透き通っていたかどうかはピンとこない。
ピンとこないことの残念さとか、
その記憶のあまりの遠さとか、
肩がバリバリにこって体じゅうが痛くて疲労こんぱいなこととか、
そんでもって、そこにインサートされる彼女のツルツル顔の涙とか、
すらりと長い夏草のような手足とか、歌のような声とか、
いろんなものがごちゃまぜになって、
泣きます、私、泣きます。