久しぶりにまとまった休みができた。
1日だけの休みというのは
とにかく疲れを取るのがメインになってしまって、
結局一日ぼーっとしてしまうことが多くなってきた。
だからこんなに連日休める日となると、
もうしばらくやっていなかった好きなことを
自然とやり始めるものだ。
額や時計のほこりやちりを取るとか、
きれいにみがいてまっすぐに掛け直すとか。
久しぶりに雑巾を手に、お日さまを背に
せっせと家中をみがいていると、
「ああ、これを幸せと言わずして何と言おう、
神様ありがとう」
という気分になる。
心の平安、これが一番。
最近そういえば、自分のし好みたいなものが
だいぶ変化してきたなあと思う。
とりわけ物欲の激減。
買っても買っても結局は満たされないことを知り
買わなくても買わなくても全然オーケーなことを知った今
物欲がほぼゼロになった。
ふと自分の周りを見渡せば、
気に入ってずっと使ってるもの、
質がよくてしっかり役に立ってくれているもの、
その残された精鋭たちが
ニッコリVサインを送ってる。
部屋もクローゼットもスッキリ。
甘いお菓子もほとんど食べなくなった。
ケーキビュッフェとかに目をキラキラさせていたのは
ほんとに私だったのか…。
ぜいたくを言うつもりはないが
機械で大量生産されたおいしくない食べ物は
すぐに食欲がうせて、
「おいしいものを少しだけ」という
昔は信じられなかった境地に近づいている。
タイヤのブレーキパッドみたいに
老朽化で神経のすり減り方が加速してきたので、
体力をどこかでセーブしようとする無意識の働きもあるようだ。
自分の心がワクワクしてしまうような場所、
物を見極めるインスピレーションが必要な場所
(本屋とか雑貨屋とか)には
あまり疲れてるときには自然と立ち入らないし、
目の前を過ぎることにもあまり心を動かさなくなってしまった。
きっとハニワみたいな顔で生きてるんだろう。
お休み3日目、
週末のにぎやかな街に出る元気がある。
すごいことだ。
冬のスリッパがすり切れてしまったので
秋から狙っていたスリッパを買いに
大好きな雑貨屋さんへ。
そう、最近何でもすり切れるまで使う。
こないだもお気に入りのジーンズが
なんかスカスカすると思ったら、
おしりが見事にすり切れて、大きな穴が開いていた。
こりゃさすがにまずいと思った。
ジーンズも何十本も持っていたけど、
気に入ってはくのは結局ほんの数本。
はかないものはすべて処分してしまった。
ああ、浪費の愚かさよ。
ほんとは、もういい大人なんだし、
もっときれいにしてなくちゃいけないのかもなーとも思う。
オシャレに関して理想はしっかりあるのだけど、
All or Nothing(カンペキにやるか、できないなら、まったくやらない)
の私としては、Nothingの方を取り、
せめて体をいつも清潔に健康に、心は健全にしなやかに、
感じのいいおばさんを目指して生きている。
スリッパとクリスマスカードを数枚買って、
いくつかのネックレスやバックや靴を
つけてみたり、持ってみたり、履いてみたりして
ちょっとだけ晴れやかな気分になって
それだけでもうおなかいっぱい。
これをもし全部買って帰ったら、
あと味が悪いことも知っている。
帰り道、野菜やお肉も買って手がいっぱいになってしまったので
お店の入り口にあるベンチで荷物を整理していた。
ふと気づくと、1年生と4年生くらいの男の子の兄弟がいる。
「にいにが全部食べちゃう」と弟が兄に訴えてる。
見ると、ウインナーが1本くるまったパンに
兄がまさにかぶりつこうとしているところだった。
弟にそう言われた兄は、パンを二つにちぎったのだけど
ウインナーが片方のパンに全部くっついてって、
でも兄はそっちの方を弟に無言で差し出す。
「にいにのウインナーは?にいにのウインナーは?」と
弟は気にして言う。
でもにいには弟を無視して
中身のないパンにかじりつく。
弟はちょっと申し訳なさそうにしながらも
ウインナーをじっと見つめてから、かじりついた。
にいには相変わらず知らん顔でパンをそしゃくしながら
ベンチのポールにぶらさがったりしている。
かっこいいなー、にいに。
結婚したい、もっと若かったら。
にいにの寛大な愛に包まれて、
弟は一生懸命ウインナーパンを食べている、真剣な顔で。
その小さな頭やあごの動きを見ていたら、
愛おしさでいっぱいになった。
ウインナーパン、たくさん買ってあげたい、にいににも。
いや、ここはそうじゃないだろ、
どうしたらいいんだろ…
結局、今私にできることは何もない、母親じゃないんだから。
切ない、とても。
心が休日だと、
世の中にあふれてるいろんなことが見える。
生きる、時間。