かつて、心を病んでいたことがあった。
病院に行かなかったので診断書はないけれど
たぶん病んでいたんだと思う。
気持ちが、とにかくふさいでいた。
「気持がふさぐ」という表現を知った今は
だいぶ楽になったけど、
その当時は、得体の知れない黒い雲に覆われたような気持ちで
助けを呼ぶこともできず、
ただ孤独に、その状態の中に「いた」。
人の言葉はすべて、それとは別の意味があるように思える。
世界の外側に、自分だけ放り出されているように感じる。
床に落ちているちり一つによっても、心が揺らいでしまう。
何も起こらないで、そっとしておいて、とひたすら願う。
毎晩ひざを抱えて、死ぬ方法を考え続ける。
そしてたくさん泣く。
昼間は、変人に思われないよう細心の注意をはらう。
そしてくたくたになる。
あるセラピストのもとへ通った。
その先生が教えてくれた唯一の真実は、
人生の行く先はすべて自分が決めている、ということ。
例えばこうだ。
まっ白い服を着ているときに限って、
スパゲティのソースを飛ばしてしまう。
それは暗に自分が
「たぶんそうしてしまう」と思っているからだ。
人間は、絶大なる暗示能力を持っている。
それも無意識の。
失敗すると思えば、失敗する。
嫌われてると思えば、嫌われる。
できないと思えば、絶対できない。
自分はダメだと思えば、もうダメなのだ。
だって自分でそう指示しているから。
だけど、その逆もしかり。
今日はうまくいく。
大丈夫、きっと大丈夫。
そう信じたときにも、
自分の暗示能力は偉大なる効力を発揮してくれる。
もちろん、それがいつもうまくできるわけじゃない。
つまづいて、くたびれて、気持ちがふさぐこともしょっちゅう。
そんなとき私は、
「今日は気持ちがふさいでる」と思い
小学生のように素直にうなだれることにしてる。
いつか時間が助けてくれるのを待つ。
目にうつっているものの「色」は
実はすべて自分が決めている。
次に見たい色を思い描き、
その色を「見る」。
その方向へ船は進む。
その人生のcaptainは、君ひとりだよ。
自分を傷つけたくない意気地なしが、リスクを犯してまで信じる方向に舵を切るのを思い留めてしまうことがあります。そんな時でも、自分が見たい色をシャットダウンせず思い描くことは大切なのかも知れませんね。時として冷酷な時間を味方につけるか否かは、自己の暗示能力の強さに他ならないのかも?自分を信じて頑張ってみます。