今日は、逗子の「音霊」(おとだま)という
海の家版ライブハウスで、
伊勢正三さんwithセンチメンタルシティロマンスのライブ。
野口さんにくっついてお邪魔することに。
逗子なんて、ほんと久しぶり。
逗子海岸に着くと、赤いパラソルがいっぱい開いてて、
ビキニの女の子や真っ黒な男の子達がいっぱいいて、
みんなほとんど裸のように見えて、
ちょっと恥ずかしくなってしまう。
それくらい、私がかつて「夏」と呼んでいた風景から
遠ざかっていたんだと、
日傘の下で小さく思った。
この瞬間だけ、あと20歳若くなれたら、
私はシャツとジーンズを脱ぎ捨てて、
海へ走るだろう。
そう思ったら、寂しさと高揚感がごちゃまぜになって
胸がいっぱいになった。
伊勢さんの本番は夜。
メンバーがリハーサルをしている間、一人で散策。
まずは逗子駅まで歩いていく。
12年ほど前、
私は生まれて初めて
音楽プローデューサーという職業の人に会い、
この道へ足を踏み入れるきっかけになった。
彼は今でも人生の恩人だ。
その人が、
私のギターと歌のアドバイザーとして紹介してくれたのが
秋元薫というミュージシャンで、
彼のスタジオは当時、この逗子にあった。
初めて一人で彼のスタジオを訪ねた日、
私は、広い広い海原へ船をこぎだすような気持ちで
この逗子の駅前で、彼を待っていた。
しばらくすると薫さんが
むこうから長い髪を風になびかせて歩いてきた。
あの光景は、今でもはっきりと目に浮かぶ。
あのときの薫さんは、
私の「音楽」という夢と憧れの、権化だったのだと思う。
この場所に、私が失ってはならない記憶がある気がして
気づくともう、薫さんのスタジオがあった場所へ歩きはじめていた。
逗子駅のホームが見下ろせる、小さなアパートの一室。
あの当時、もうぼろぼろだったから
もうないだろうと思ったのに、
外装がきれいに塗り替えられて、
それは平然と私の目の前に姿を現す。
ちょっと気が抜けてしまった。
思い切って、狭い階段を上ってみる。
あの日々が、遠い記憶ではなく、
感覚の一部としてすぐに戻ってくる。
部屋の前まで行くと、
いつもしていたお香の香りがしないことで
ふと我にかえる。
重いギターを抱えて、東京から何度通ったことだろう。
自分の不甲斐なさに
帰りの逗子駅のホームで、何度めそめそ泣いただろう。
それでも私の前には
広い広い海原が広がっていて、
そのむこうの景色を見るために
私は無心に船をこぎ続けていた。
十数年の歳月。
そして私はどれくらい船をこいで前へ進んだのだろう。
それを考えるとき、
やるせなさが押し寄せるかと思ったのに、
静かな安堵感のようなものに包まれて
不思議な気がした。
どこまで行っても、夢の景色は現れない。
死ぬまで船をこいで、風を感じつづけること、
それが人生なんだと、最近思う。
人生は、過程つづきで、
その途中で、終わっていい。
ただその過程を、大切に慈しむべきだ。
神様に与えられた大切なひととき、
そんなふうに思える時間がたまにある。
私は逗子駅のホームに入り、
北鎌倉へ向かう。
ここには、葉翔明さんの美術館があって
ときどき一人で訪れる。
彼は愛に満ちた絵を描く画家であるとともに
すばらしい詩人でもあり、
私は、その空間の中で、彼の絵に囲まれながら
彼の詩を読むことが大好きだ。
心がどこまでも静かになり、
その心が本来あるべき場所、
そこへ向かいたいと渇望している場所へ
ちゃんと導いてくれる。
あまりに的確に手を差しのべてくれるので
立ち尽くしたまま泣いてしまう。
今日はとっても夏らしい日。
汗と海風で肌はべとついているのに、
気持ちはすっかり涼やかになった。
音霊の楽屋に戻ると、
センチのメンバーの面々が
「おう、まみちゃん、美術館行ってきたか?」と
迎えてくれる。
「すっかり癒やされてきました」と笑うと
「それで、この楽屋じゃなあ、
いきなり逆だよなあ」とトクオさんがガハハハと笑う。
でも、センチの皆さんと一緒にいると
なぜだかとてもくつろぐのだ。
大好きな親戚のおじさん達(失礼)と一緒にいるみたいな感じ。
最高の夏休みの一日。