公園で本を読むために
ベストポジションを探して歩いていたら
美術館があった。
時間もたんまりあるので入ってみる。
「トゥルー・カラーズ」という
「色」をテーマにした展示をやっている。
難しいものではなさそうなので
さっそくチケット買って、展示室へ。
シーンとした館内。
頭の中はわりと簡単に空っぽになって、
絵の前をゆっくりと歩く。
展示室の片隅にひざかけをかけて
微動だにせず座ってる人、
何を考えているんだろうと、いつも思う。
恋人のことか、今月のお給料のやりくりか、
はたまた無の境地か。
いくら壁の一部のようになっている人でも
生きている人間というのは無視しづらい。
でも、この人たちのことは
あまり気に留めないでいいんだよな…
絵に集中。
何号っていうんだろう、
とにかく畳一畳より大きい絵ばかり。
じーっと近くで見つめると
ものすごい量の絵の具を使っていることが分かる。
私の心の友、漫画家の西原理恵子さんが美大にいた頃、
貧乏で、カンバスや絵の具を買うお金がなかったと言っていた。
お金のかかる学校の課題をやるより、
アルバイトに時間を費やすしかなかったみたいだ。
だろうなぁ。
こんなに絵の具使って、膨大な時間使って、
もちろんお金もたくさん使って、
たぶん精神的にもかなり消耗して、
それでいて大衆にはぼんやりとしか
伝わらない(かもしれない)メッセージを
発信しつづけることについて考える。
音楽とも似てるかもな、と思う。
音楽だけじゃなく、創作というものは、
それがれっきとした実用品である場合以外は
文章であれ、彫刻であれ、オブジェであれ、
みーんなみんなそうだ。
作家たちは何かに突き動かされて、
自分の中の欲求によって、
その場所を目指して黙々と進む。
確信のない一点へ進むことに
みんな日々おびえている、
それは到達点であって、
到達点にはなりえない、永遠に。
てなことを考えながらも、
頭の中は空っぽといえる。
空っぽというのは、
自分しかいない、ということかな。
日々自分を忙しくしていることは、
自分が他人や社会に対して、ちゃんとしているか、
という危惧だ。
発した言葉は正しかったか、
行動は間違っていなかったか、
そもそも人間として、自分はこれでいいのか。
そんな息苦しさから、
しばし解放された瞬間だった。
展示室を出ると、
手帳サイズほどの冊子が
何百と壁いっぱいに貼ってある。
これは地元の中学2年生300人ほどに
回答してもらった質問ノートで
「ご自由にお読みください」とある。
その中には、
好きな人はいますか?
告白したいですか?
結婚はしたいですか?
何歳くらいで?
とかいう質問から、
今の日本をどう思いますか?
大人に対してひと言。
いじめをどう思いますか?
それをなくすには?
なんていう何十という質問が書いてあって
それに中学生が鉛筆で答えを書いているというもの。
私は、端からどんどん読んでいって
止まらなくなってしまい、
このまま300人分読むのもどうかと思い、
途中で、まじめに書いている子のをピックアップして読んだ。
おもしろかったのは、
寂しいと感じたり、孤独だと思うことはありますか?
という質問に、
意外と
「うーん、ないかも」
「ないーっす」とか
さっぱりした答えが多かったこと。
それと、
結婚したい歳は?という質問に
だいたいの子が
「20歳から30歳の間」とか
「28歳くらい」とか
王道の答えをしていたことだ。
だいたいそれくらいの歳で
結婚する(だろう)と
何の迷いもなく書いてるところが
かわいいなあと思う。
だって彼らにはそれを取り巻く未来の環境なんて
想像するよしもないんだもの、
当たり前っちゃあ当たり前。
ページの最後に
今回展示に参加していたイラストレーターのイラストが描いてあり、
そこに自由に色を塗ったり、
絵や文章を書き加えたりできるようになっている。
開いた扉のイラストがあって、
その向こう側には
みんな明るく楽しい絵を色鉛筆で描いていた。
男の子と女の子が並んで座っている後ろ姿。
真っ青な空。
花が咲き乱れる明るい森の道。
大きなひまわり…。
きっとみんな
何かしらの悩みを抱えているに違いないけれど、
描く未来、望む未来を
こうしてはっきりと絵にすることができる健やかさ、
そのことに深く心を打たれた。
空っぽな自分になって、
澄んだ外の世界を見た。
楽しかった。