玉川上水のほとりは緑も多く、
季節の花がたくさん咲いて
鳥のさえずりがたえない。
東京にこういう場所が残されているのは
大きな恵みだ。
できることなら、ずっと残したい。
犬と散歩をしていたら、老夫婦に出会う。
少し遠い所から、もうこっちを見てニコニコしている。
犬と歩いていると
すれ違う人が気軽に声をかけてくれることが多くて
そのことが楽しい。
「ヨークシャだね」「ああ、ヨークシャだ」
という会話が聞こえる。
「小さいねえ」
これは、ほとんどの人からもらう第一声だ。
「もう大人なんですけどね」と私もいつものように答える。
「うちもね、昔2匹飼っててね…」と、おじいさんの方が
その犬たちの名前や、どこからもらわれてきたかとか
もう相当年をとるまで生きていたことを聞かせてくれる。
おばあさんは微笑んで「うん、そう」などと合いの手を入れ
おじいさんの話を楽しそうに聞いている。
おばあさんは杖をついていて、
おじいさんがそっとかばうようにして立っていて、
二人とも毛糸の帽子をかぶって、あったかそうにして
深いしわの奥に、あったかい笑顔をたたえている。
別れぎわに、おじいさんが気がついたように
「犬も年をとると白内障になっちゃうんだよな」と言う。
「そうですね、少しずつ目が白くなってきますね」と私が答え
さよならをする。
毎日いろんな人とすれ違うけれど、
それはみんな違う人たちで
もうこのご夫婦とも二度と会わないのかもしれないと思ったら
寂しくて鼻がツーンとした。
しばらく歩くとベンチにおばあさんが座っている。
犬がトコトコと彼女のそばに行き、足もとにペタンと座る。
この子をずっと面倒見ていたおばあちゃんが去年亡くなって
それ以来、おばあさんがいるとそばに寄っていくのだ。
亡くなったおばあちゃんは
いつもベンチで休みながらタバコを吸っていて
この子はその横で、いつもこうして待っていたのだろう。
「あら、疲れちゃったかねえ、犬も歩けば疲れるよねえ」と
おばあさんが頭をなでてくれる。
犬がすっかりリラックスしているので
ここでもまた、おばあさんと少しおしゃべりをする。
おばあさんと会話をすることが、とても懐かしく、
もっとあの時間を大切にできなかったのかなと思う。
私も老人になるまで生きるのだろうか?
だとしたらどんなふうに生と向き合っていくのだろう?
老人たちは皆、しっかりと大きなものを受け止め、受け入れ、
寛容で静かな迫力をたたえているように見える。
小川の反対側に渡って、Uターンして家に向かう。
まだ風は冷たいけれど、春はもうそこまで来ていて
そっと息をひそめて微笑んで待ってるみたい。
ふと川の向こう岸を見ると
さっきのご夫婦がこちらを見てニコニコ笑っている。
私は嬉しくなって大きく会釈をして、おんなじくらい笑った。
昼の散歩道。