住んでいた家のカギを不動産屋さんに返す
「立ち会い」の日。
がらーんとした懐かしい家に戻って
不動産屋さんが来るのを待った。
毎日寝る前にストレッチをやった寝室の床。
同じストレッチのポーズをとってみたりする。
パソコンのキーボードを打つ手を止めて
ボーッと眺めた仕事部屋の窓。
その景色だけをじっと見ていると
まるで、後ろには大きなソファがあって、
となりにはピアノがあって、
書きかけの譜面が散らばっているような気がする。
でも、部屋はどこもがらーんとしている。
絵に描いたようなセンチメンタル。
しょぼんとするってのは、こういうことか。
ちょうど4年前、この家を決めて
まだ家具も何もない部屋に
ギターを一本だけ持ってきた。
フローリングの床に座って
ポロンと弾いて、ちょっと歌った。
何もない部屋では音の反響がものすごくて、
こんな家で音楽できるんだろうかとかなり焦った。
でも、4年間、そこでたくさん歌った。
家ってのは、人がいて、その人の物があって
その人の温度があって、
初めて家なんだな。
私が愛していた家は、空っぽになって、
少しよそよそしくて、
そのよそよそしさは少しずつ増していって、
心の執着を徐々にとかしていく。
元気のいい不動産屋さんの青年が来たころには
私の家は、もとの空家になっていた。
「きれいに住んでましたね、
こんな家、久しぶりに見たなぁ」と笑ってくれた。
サヨナラ、できた。
引越し、転校、転勤・・・。
何かをあとにするシチュエーションって、
やっぱ物悲しいですよね。
でも、何かをあとにした、その「先に」あるものに、
期待もしたいところですよね。
そこに行かなければ出逢えなかった何かが、
きっとあると思います。
それにしても、ギター1本で引越ししたことがあるのね・・・。
ミュージシャンらしい・・・
私がいまの家で暮らし始めたときに
持ち込んだのは、「布団とテレビ」のみ・・。
・・・部屋を覗きに来た友人に、「キャンプ?」と聞かれました。
(関係ないけど、Cafeでのハンドルネーム、
間違えちゃった・・・。(^_^;) )
うーん、思い出すなあ。
引越しは何度もしました、父が転勤族だったから。
幼稚園1回、小学校3回、中学1回変わってる。
転勤って、春が多いんだよね。私は春ばかりでした。
いよいよさよならっていう日、がらんとした部屋をひと部屋ひと部屋まわってさよならして、庭に出て、新緑の香りを思いっきり吸って、忘れないよってしっかりと胸に刻み込み・・・・
友達に見送られながら新地へと向かう、あのときのことが、まみさんのブログ読んでたら、鮮明に思い出されました。
大人になってからも、結婚してからも、引越しは何度もしたけど、その時その時の思い出を
しっかりと胸に刻み込み、ちょっぴりセンチになって、でも、新地でもがんばろう!と、気持ちを奮い立たせてみんな前を向いて歩いていくんですね(*^_^*)
akiさんもお父さまが転勤族でしたか。
私の友だちにも何人かいます。
今は私の大学の友人たちがほとんど転勤族なので
子供たちを連れて、世界各国を移り住んでいます。
誰かが帰ってきたかと思えば、また誰か。
飲み会のたびに、日本にいる家族が変わります。
外野からしてみると、
親の仕事の都合に子供を巻き込んで、
その転勤は時として
子供にとっての決定的なマイナスにもなりうるだろうし
(例えば、ものすごくいい先生を失うとか、
何か大切なチャンスを逃すとか)
それってどうなんだろう?って思いが、
いつもあります。
akiさんのコメントを読んでも、
子供にそんな健気な思いをさせて…なんて、
ちょっと胸がつまってしまった。
ウチの父は私が子供のころ世界中を飛び回っていて
ほとんど日本にいませんでしたが、
一人で行ってくれてたので、
私は転校を一度もせずに住みました。
だけどその代わり、父親とあまり仲良くなれなかった。
父は「たまに家にやってくるコワイ人」でした。
だからやっぱり、子供が小さいうちは
「家族一緒」なのが
絶対的な価値を持つのかもしれませんね。
それに、何か普通ではない状況と対峙していくことで
その子供の心に深みが増すのだということは
大人になった友人たちを見ていて
はっきりと分かります。