神様が人間を創ったとき
犬は、その生涯の友として創られたという。
その日、サンに会いに病院に行くかどうか少し迷った。
きっとこれで最後になってしまうと思ったし、
何より、苦しんでいるサンを見たくなかったから。
結局私は自分が一番大切なんだと
降参するような気持ちで思った。
10数年前、私に「犬と走った日」という曲を書かせてくれた
妹の愛犬。
まだ子犬で、喜んで興奮して駆け回ると
ブレーキがきかなくって
フローリングの床をツーッと何メートルも滑っていったサン。
そのやんちゃぶりは大人になっても変わることなく
体重が40キロ近くなっても無邪気に飛びかかってきて、
私は生傷が絶えなかった。
やつは食いしん坊で、
夕食のミートボールを全部食べられてしまったり、
朝に食べるのを楽しみにしていたパンを
袋ごとやられたりして、
私がマジで頭にきてケンカした唯一の犬だ。
だけど私が泣きたいようなときには
目をじーっと見つめてくれて
そうすると、その瞳の奥には
ちゃんと出口があるように思えた。
14歳の今年の夏、ガンが見つかって、
大きなものは緊急手術で取ったけれど
秋のお誕生日までもつかどうか、と言われていた。
病院の床の布団の上に寝かされているサンは
いくつかの管につながれて
荒い呼吸をしていた。
「サン?」と呼ぶと、
充血した目で私を見上げた。
私には目を向けるだけだったけれど、
妹が呼ぶと、うれしそうに首を動かした。
彼の足には
妹がいつもしている天然石のブレスレット。
首には、先生がつけてくれただろう水色の
かわいいリボン飾りもついてる。
なのに、苦しんでいるサン。
サンのやせてしまった顔を
名前を呼びながらなででいたら
病院の床に涙がポタポタ落ちた。
この涙をあとで病院の人がふくのかな、
申し訳ないなあと思ったけれど
涙は遠慮なく落ちてゆく。
何日もつきっきりで面倒を見てくれている女の先生も
充血した目でサンをなでてくれている。
看護師の男性も
サンのつながれた管の様子を丁寧にチェックしたり
かいがいしくそばについていてくれる。
この人たちは何度こんな夜を過ごしてきたのだろう。
病院の帰り道、
私は母が危篤だった夜を思い出した。
今日と同じように、
ベッドのそばで妹と、消え入りそうな命を見つめていた。
けれどあの日、私達は決して泣かなかった。
泣けば、その運命に降伏してしまうような気がしたから。
「ママは死んだりしない」
「決して死んだりしない」
死はもうそこに立っているのに
気づかないふりをした。
翌日、サンは妹と病院の先生達に見守られて
逝ってしまった。
クリスマスまであと5日。
病院の人たちがみんなで大きなサンをきれいに洗ってくれて
驚いたことに歯まで磨いてくれて
ぴかぴかのサンが帰ってきた。
まったく動かないサン。
寝てるのが大好きなやつだったから
そのうち目を覚ますような気もするけれど
いつもあったかい体が、今日は少し冷たい。
命というものについて考えた。
10数年間も私達と一緒にいて
笑ったり泣いたり、
いろんな時間を共有してきた命が
こんなにプツンと途絶えるというのは
一体どういうことだろう。
体は病気で朽ちてしまったかもしれないけれど
魂は一体どこにいったんだろう?
魂が体とともに消え失せるとは
とうてい思えなかった。
友だちの猫が死んでしまったとき、
どの子も次の日には蝶になって
彼女のマンションのベランダに来てくれたそうだ。
たとえ真冬であっても。
私は何日も何日も、
黒い大きな蝶が庭にやってくるのを待った。
なのにサンは来てくれない。
ずぼらなやつだ。
妹はここ半年ほど
まるで老人介護のような日々を送っていた。
最後はおむつまでしてやって、
眠る時間も削っていたほどだ。
サンが死んで、
「私にはもう働く理由も、家に帰る理由もない」などと言う。
「車で放浪の生活をしようかな」と。
だけど妹は最近とっても元気だ。
友達を家に呼んで食事を作ったり、
朝までドライブしたり。
きれいに片付いた部屋のかたわらには
サンのお骨がとんと置かれている。
サンの魂は今どこにいるのか、
願わくば妹の車の助手席で
安全運転を見守っていてやってほしい。
春になったら来るかな、庭に。