ある日、妹から電話があって、
幼なじみのじっくんから連絡があったという。
フェイスブックで妹を見つけてくれたらしい。
子供のとき以来、まったく会っていない人で、
ちょっとした驚きだ。
そこで、みんなで会って食事をしようということになった。
彼とお母様、私の父、妹と私の5人で。

じっくんは、子供のころ家族ぐるみで親しくしていた人で、
たまたま彼と彼の兄、私と妹の4人は年も近かったので
お互いの家に泊まりあったり
夏には、ほぼ毎年、2家族で軽井沢の別荘で過ごしていた。

別荘というのは、じっくんの家の持ち物で
彼のおじい様は、私の父が勤めていた会社の会長さんであり
なぜだか父は一社員でありながら、
会長さんの一族と親戚のようなおつきあいをさせていただいていた。

会長のお家は目黒にある豪邸で
それこそ、広いお庭には錦鯉の泳ぐ池があり
庭師によっていつも美しく整えられている庭だった。
ことあるごとに私たち家族はそのお家へもお邪魔して
お祝い事などのときは、
天婦羅の職人さんが家に入って天婦羅をふるまう
お座敷天婦羅もごちそうになった。
その家の孫たちは皆、有名私立に通うお嬢さま、お坊っちゃまだったし
私は幼くして、自分が平民である劣等感に打ちひしがれたものだ。
その家のお嬢さま、つまりじっくんのお母様は
美智子様の学校の後輩で、上品で美しく教養があり、
学歴のない私の母もまた、彼女に対して少なからず引け目を感じていたことは
子供の私にも理解できた。

それでも、私と彼の2つの家族は、
いくつもの季節を一緒に楽しく過ごした。

夏の軽井沢の思い出は、きらきらした木漏れ日とともに
私の心に今も小さく光を宿している。

私たち子供4人は、大人が何やらおしゃべりに夢中になっている間に
毎日のように自転車で街に下りた。
ガタガタと小石の混じる土の上を走り、白樺の林を猛スピードで抜けていく。
サドルのお尻が少し痛くて、
いつか大きな石か木の根っこにぶつかって転ぶんじゃないかと恐れながらも
平気な顔で自転車を走らせる。
当時、街に1軒だけあった駄菓子屋でお菓子やジュースを買って
街を少しぐるぐるして、そして帰る。

時には乗馬や鮎釣りに連れていってもらって、
馬に乗ったり、焼いた鮎にかぶりついたりした。

朝ごはんは、テラスのテーブルに
ソーセージやミックスベジタブルのソテーがのった大皿がドンと出てきて、
パンと一緒に、とにかくたくさん食べた。
ぱくぱくと食べ物を口に運ぶみんなの顔は
昨日のことのように思い出せる。

家の中の畳の部屋は、
緑と土と別荘特有のカビくささが混じった独特の香りがした。
遊び疲れてゴロゴロしていると
みんなでいつしか寝てしまうこともしばしばだった。
「ご飯よ〜」と起こされたときの、
眠気と幸福が入り混じったあの不思議な感覚を今でも覚えている。

じっくんは4人の中で一番小さくて、
色が白くて痩せていて、女の子のようにかわいらしい顔をしていた。
東京へ帰るときは、だいたいうちの家族が先に戻るのだが
私たちが車にのって手を振ると
じっくんは母親の腰にしがみついて泣いた。
おっとりしていて特別はしゃぐこともない彼が
そうして泣きじゃくるのを見ると
子供の私の心も、少し揺れた。

彼は高校を出て単身アメリカに渡ってしまい、
私の記憶の中では7歳くらいの小さな彼の面影しかなかった。

40年近い年月が流れ、再び会ったじっくんは、
かわいらしい面影はそのまま、優しくやわらかな雰囲気を持った男性になっていた。
おっとりとしたしゃべり方はチビだったあのときと同じだ。
お互い大人になっているのに、
しゃべっていると子供のころの空気感に無理なく包まれる。
彼は今やバイオテクノロジーの研究者となっていて
人類の未来を託された人であり、
私はとても誇らしい気持ちになる。
じっくんのお母様も、その美しさと気品は変わらず、
静かに上品に、でもハッキリした表現で話す様子は昔のまま。
父が上機嫌でしゃべっている長い話にも
微笑みを浮かべながらクールに相槌を打っていて、
軽井沢のリビングでのひとときがよみがえる。
じっくんはというと、
父をまっすぐに見て、うん、うん、なるほど、と興味深い様子で話を聞き、
時おり質問を挟んでくれたり、深く頷いたりしている。
そんな彼の様子を見ていると
彼が社会の第一線で多くの人と携わり、多くの人を率いて
かつ、大きな人望を集めているであろうことをはっきりと感じる。

私は… ただ漫然と生きてきてしまった感をぬぐえず
心の中で苦笑する。
それでも、その日はとても素敵な夜で
長く生きているとこうして「時間」のちょっとしたご褒美みたいなものを
もらえるんだなあと感じる。

私の母も、じっくんのお兄ちゃんも、もうこの世を去ってしまった。
少しずつ、人は順番にこの世を去るのだ。
ならば、残りの時間で私は何ができるのだろうと考える。
でも、いつもそこまで。
また漫然と日々が過ぎてゆく。