母はつらいことがあると、よく鎌倉に一人で行っていた。
鎌倉は母にとって、どこか特別な場所だったのだろう。
何があるわけでもないけれど、
中途半端に行き場のない心を黙って包んでくれるような
そんな場所。

一人で鎌倉に来た。
とても久しぶりだ。
夏は早々と去って、低い曇り空の、静かな海。
小さな流木に座って、ぼんやりと海を見ている。

母は、あのころ、私よりも若かったか、
それとも同じくらいの歳だったか。
母は、私にとっていつでも母で、
一人の人間、一人の女性として、彼女を見ることはなかった。
母も、何かしらの苦しみや葛藤をかかえて
こうして海を見ていたのだろうか。
私はまだまだ子供で、その哀しみに寄り添うことができなかった。

鎌倉や逗子の海では、
学生のころから、ずいぶんとたくさんの時間を過ごした。
グレーの波間や江ノ島を眺めていると
水着やウェットスーツや、マックのハンバーガーやポンコツ車や
真夜中の酔ったはしゃぎ声や、
走馬灯なんてもんじゃなく、どっといろんなシーンが
大セールのように降り注いでくる。

ドラマのように、
「そして何十年たって、私はこうなりました」とか、
そんなオチも何もなく、
そう、ほんとうに何もなく、
ただ時を経ただけの私が、一人でぼんやり座っている。

雨は降りそうで降らなくて、
霧のつぶような水分がときおり頰を濡らすだけ。

後ろの堤防の上で、若い女の子たちが自撮り棒で写真を撮ったり
おしゃべりをしたりしている。
少しなまりがあるので遠くから遊びに来たんだろう。
なまりというのは、
その人のパーソナリティをよりリアルに表現するような気がして
とても好きだ。

楽しそうな彼女たち。
楽しそうだけれど、きっとそれぞれ、
ときどき自分の心の中に帰って
ちょっとだけ苦味や酸っぱ味を感じたりして
またみんなのもとへ戻ったり…
そんなことをしてるんだと思う。

砂がスニーカーに入らないように慎重に歩いて、堤防の上へ戻る。
海辺のカフェのテラスに座って、早めの晩ごはん。
パクチーたっぷりのチキンサラダとジャスミン茶を頼んだ。
パクチー大好き。
ソテーされたチキンがドカーンと一枚のっかっていて3人分はありそう。
パンを注文しなくてよかったー。
一生懸命サラダを平らげている間も、雨は降らない。
そろそろ海風がしみてきたので
ポットにお湯を足してもらって、お茶を飲む。
どうぞ、とポットを持ってきてくれたお店の奥さんは、
間違いなくサーファーで、同世代くらいに見える。
朝黒いすっぴんの肌と着古したTシャツが彼女の意志を感じさせ
ちょっとした羨ましさを感じる。

降りそうで降らない雨は、今日はもう降らないだろう。
私も何の答えも出ずに、そんな空をまだぼんやりながめている。
おなかいっぱい。