持病の腰痛が機嫌悪くて腰が曲がらない。
落ちたモノを拾うときは
エイっとスクワットをして拾う。
昔、腰が全然悪くなかったころ、どんなだったかな。
それがごく当たり前で、ぴょんぴょん飛び跳ねていた。
いいことは、全部「当たり前」となる。
そういえば子供のとき、おデブちゃんだったころ、
「せめて、目立たないフツウの体型になれたら
どんなに幸せだろう」と毎日願っていた。
大人になって念願の「フツウ」になったら
それは「当たり前」になった。
べつに「幸せ」ってほどじゃなくて。
不幸なときに、幸福ってものが見える。
哀しみを知ることで
本当に優しくなれることとつながってる。